プライドは捨てた方が成長できるんじゃないか説。
どうも。
おかしょー。です。
僕最近思うんですよ。
プライドってすっごい無駄なものだなぁと。
今日はそのプライドは捨てた方が成長できるんじゃないか説について書いていきたいと思います。
プライドの正体
そもそもプライドってなんなのでしょうか。
Google先生に頼ってみました。
Wikipediaさんによるとプライドとは「誇り、自尊心、自負心を意味する言葉」とのことです。
自尊心かぁ。
これまた意味がよくわからないのでGoogle先生に頼ってみました。
とのことです。
自分を肯定かぁ。
つまりプライドって自分を肯定しようとしているもの??
誰かに自分のことを注意されたり、否定されたりしたとします。
その際に、変なプライドで人の注意を受け入れないことがあります。
それは自分を肯定したいから。
もし相手の言っていることが正しいとします。
でも自分のプライドのせいでそれは学びのチャンスを逃しているということです。
もったいない。すっごい思うんですよね。
とある事例を一つ。
変なプライドを捨てた瞬間
先月。僕はとある合宿に参加しました。
その合宿の一つのワークでディベートというものがありました。
僕はこのディベートですっごい悔しい思いをしたんですよね。
大勢の前で話すのは自分の武器だと思っていました。でも、このディベートでその点において自分より圧倒的に周りの目を惹きつけている男性がいました。
ディベート自体も彼のいるチームが勝利したんですよ。
大声で言います。
くっそ悔しかったです!!!!
僕は合宿でのメンターにくっそ悔しいです!!と言いました。
そのメンターは僕に仏教の守破離という考えを教えてくれました。
守破離とは。。。
「まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。」というものです。
自分の武器だと思っていた点で同学年の男の子に圧倒されました。
僕は彼を越えたいと思い、その瞬間変なプライドを捨て、「◯◯くん!!ちょいと人を惹きつける方法教えて!!」と言いました。
もちろん彼はそのことを快く引き受けてくれました。
本当にいい人に出会えたなぁと。
良き合宿でした。
まとめ
まぁ長くなりましたが、結局は自分が成長するためには変なプライドを捨てて、自分の学びになると思ったことには飛びつけばいいってことですよ。
これは何か活動をするにあたっても同じです。
何かプロジェクトを立ち上げるときにひとりじゃ必ずできません。
僕は自分より力のある人を巻き込めたら理想だと思っています。
なので変なプライドなんか捨てて、年齢関係なく様々な人に声をかけます。
それで最高なものが創れるなら幸せじゃないですか。
さぁ、変なプライドは捨ててアクションを起こしましょう!!!